リズが、フロアーにやってきた。

クッキーのマラソンには、
そばに行き、
小さな声で注意したようだった。

クッキーは、半泣きのような顔で
フロアーから
飛び出していった。
今日いちばんのダッシュだ。

そして、リズは、
彫像になっているプリシラを見て
顔をしかめた。

そうだよね。
行列がなくなったとはいえ、
まだカフェは、
ほぼ満席状態。

あたしたちは、フル回転で
フロアーでサービスしてる。
いい加減、スマイル営業用のせいで
ホホと無理に上げた口角が痙攣しそうなほど
顔が疲れている。

なのに、プリシラは、
Bフロアーのチーフにもかかわらず
立ち尽くしたままなのだ。

これが、不気味な接客なのか。
しかし、接客は、まだ
全くしていない。
あれは、なんなのだろう。

温厚そうなリズの
舌打ちがきこえた。

あたしは、その気持ちを
最大限、共感する。
というか、フロアースタッフのみんなが
同じ気持ちだろう。

リズは、プリシラに近づくと
ふつうの声で話した。

  プリシラ、何してるの?

プリシラは、視線を少し
リズに合わせたものの
ぷいっと無視したままだ。
リズが重ねて言う。

  プリシラ、接客して。

プリシラは、あくまで
彫像だった。
リズの声など、
どこ吹く風だ。

すると、どこからもってきたのか、
ベニスが、まるでうっかりのように
プリシラに、コップの水を
かけてしまった。

それは、氷入りの水で
おおぶりのコップだから、
相当冷たく多いはずだ。

水を顔にまともに浴びせられた
プリシラは、
何事もなかったかのように
黙って、フロアーを出ていった。

声を出さず、
表情を変えないプリシラって
なんだか、ものすごく
妙だ。

リズは、Aフロアーにくると
べティーに話しかけた。

  プリシラは、前からあんななの?

小声だけど、
あたしにも、
ばっちり聞こえた。

そうだよね。
リズは、まだこのお店に
きたばっかり。

その開店初日に、
Bフロアーチーフのプリシラが
あれでは、困るだろう。

べティーは、笑顔で
リズに答えた。

   いいえ、プリシラは、
   今日は、まだいいほうよ。

リズは、絶句してた。

っていうか、
あたしも、絶句した。

ええっ
あれで、いいほう?
どんなふうになるのだろう。

ナンシーも変だったけど、
とりあえず、動いたし、
接客も、やってるふりはできた。
いや、すごく変だったけど、
迷惑だったけど、
でも‥‥‥‥

プリシラ、これからどうなるのだろう。

リズは、圧倒されたかのように
フロアーで
Bフロアーを手伝っていた。

リズのステキな声が
フロアーに響き、
それだけで、あたしは、
うっとりしてしまう。

あたしも、聞こえてくる
リズの声をモデルに
発声練習のように
声をがんばった。

驚くことに
リズの声がフロアーに
響きはじめると
スタッフが同調したかのように
素晴らしい声の響きが
重なってきた。

まるで、
パイプオルガンだ。
ただ、オーダーを取る
それだけの声なのに、
しかも、BGMは、
陽気なカントリーになっているというのに
声の柔らかい響きが
そこここから聞こえてきた。

あたしは、ますますうっとりして、
自分の声も
それに重ねようと
精一杯、合わせてみる。

リズは、不思議な声を持っている。

あたしは、そのことを
確信し、
温かい笑顔をふりまくリズを
尊敬の念をこめて
見つめていた。

お客様も、この微妙ではあるが
確実に変化したフロアーの状況に
気づいたのか、
お客様の声まで、同調して聞こえる。

あたしは、ひとの声の不思議さに
感動さえしてた。

ボイストレーナーの指導で
声質やトーンではない
声をとりまく響きのほうが
ひとをトリコにするものよ、って
声質にこだわるあたしに
何度も言ってた。

あたしは、そのときには、
声そのものに
こだわっていたので
そんなことを言う
ボイストレーナーの言葉を
素直に聞けなかった。

でも、いまは、わかる。

リズの声は、声質やトーンではない
何かを持っていた。

そして、その何かは、
まわりを同調させる力が
ある。

びっくりだ。

あたしは、こころのなかで
にっこりしていた。

さあ、バイト終了。

なんだか、とっても良い気持ちで
バイトを終えることができた。

朝から大変だったけど、
明日も、がんばろうっと。

今日は、これから
ひさびさに、学校に行こう。

ローラに、リズの声の不思議を
話さなくっちゃ、と
あたしは、ワクワクしていた。

つづく・・・・・・・・・・・・