ちょっと早めかなと思っていたけど、
時間通りにベーカリカフェについた。
ほんの数日なのに、
ずいぶん久しぶりに感じる。
建物は、なんだかよそよそしくて
近寄りがたかった。

少し、従業員の入り口で
躊躇していると、
うしろから肩をたたかれる。

  おはよう!今日からまた、がんばろうね。

ビッキーが笑顔で元気良く
声をかけてくれた。

あたしも、元気良く笑顔を返して
一緒にロッカールームに急いだ。

よく考えたら、まだお店を
開くわけでもないので、
制服に着替えなくても
良いのかもしれない。
でも、あたしたちは、
いつものパターンを
無意識にしてしまっていた。

ロッカールームに入ると
バイト仲間のみんながいて
あたしは、なんだか嬉しかった。

ジョニーはウインクしてくれて
サンデイやべティー、ベニスまでもが
笑顔で挨拶してくれた。

あたしたちは、
ロッカールームで
ベニスの噂話を
聞くともなく聞き流しながら、
落ち着きなく
きょろきょろしてしまっている。

何をどうしていのか
わからずに、
でも、知りたいことは沢山あって
それを抱えきれないのだ。

それに、あたしみたいに
学校に行っていれば、
トラウマワークを事件直後に受けて
少しはこころが安定している。
でも、このバイト先では、
そんな支援もなく
自分だけで乗り越えなくては
ならないひとばかりだ。

怪我をした男性社員の
こころを思うと
あたしは、いたたまれなかった。

あたしだけが、
学校の恩恵を受けているという
罪悪感が襲ってくる。

みんなに悪いことをしたあたし、
というフレーズだけが、
くりかえしあたしの頭のなかを
グルグルし始めてしまっていた。

突然、男性の声がして、
あたしたちは、なんと
制服警官の指示で
会議室につれてかれた。

そこには、
怪我をした男性社員も
すでに座っていて、
コマーシャルの中のような
さわやかすぎる笑顔の警官が
あたしたちを迎えてくれた。

あたしたちは、
それぞれ椅子に座ると
数人の警官が
さわやかすぎる笑顔のままで
今回の事件の経過と
その後について
説明を始めた。

あたしは、うわの空で
聞き流している。

ナンシーは、どうしたのだろうか・・・

警官の説明によれば、
ナンシー夫妻は、
警察の保護下にあるとの
ことだった。

“ジャック・スミス”の
裁判が終わるまでは、
安全な場所に保護を続ける
とのことだった。

しかし、“ジャック・スミス”は、
すでに刑務所のなかであり、
裁判も刑務所から
通うので、こちらが危険に
さらされることはないだろうと
作り笑顔で保証した。

それは、あまりの作り笑顔のせいで、
あたしには、危険なような
気がしてならなかった。

ここサンフランシスコでは、
警官に逮捕された時点で
すぐに刑務所に連行される。
しかし、裁判で刑が
確定するまでは、
塀の外に出ることも、
可能なはずである。

あたしは、ぶるっと
身震いした。

殺人事件犯であるから
そう簡単には
自由にならないだろうが、
それでも、ここは、
人権尊重のサンフランシスコである。
裁判前に犯人といえども、
刑確定前の権利を
保証するであろうことは、
容易に想像できた。

だからこそ、ナンシー夫妻は、
当分の間、
どこかに保護されるのだろう。

プリシラとその恋人は、
現在も、事情徴収中との
ことである。
刑事事件として起訴するか、
司法取引をするのか、
の流動的な状況らしかった。

そして、ここ
ベーカリーカフェは、
来週から、お店を再開しても
良いだろうとのことだった。

あたしたちから、
ようやくほっとした
ため息のような吐息がもれた。

社長より、
来週からの
お店の人員配置の変更が
説明された。

あたし、初めて、社長を見た。
バイトだから、
このお店の社長なんて
見ることないと思ってたけど
異常事態だと
こうして出てくるんだな~と
改めて事件の大きさを思った。

とりあえず、プリシラと
ナンシーが欠席なので、
部署変更になる。

プリシラのところに、
本部から、プリシラよりも
偉い権限を持つ、
リズという女性が
きてくれることになったとのことで
その女性が挨拶した。

リズは、アジア系の
非常に小柄ではあるが、
聡明そうな目の光りの強い
芯の強そうな女性だった。

その声は、温かく
優しいアクセントであり、
短髪の黒髪のせいか、
エレガントに感じた。

あたしのAエリアは、
ナンシーの変わりに
べティーが
入ることになった。

そして、クッキーは、
事件後の恐怖が
おさまらずに
当分お休みとのことだった。

欠員が何人か出たので
新しくバイトを
募集するとの約束をして
終わった。

もう、これで解散かと
思ったら、
トイレ休憩で、まだ
これから何かあるとの
ことだった。

あたしは、
なんだか、頭が疲れてしまって、
立ち上がって
窓際まで行くと
大きく伸びをして
からだを動かした。

みんな、無口で
やはり同じように
からだを動かしている
ひとが多かった。

お店のギフト用の
クッキーが配られて、
珈琲を紙コップで飲んだ。

小さな氷砂糖がまぶしてある
固いクッキーは、
噛みながらリラックスできて、
珈琲の苦味が頭を少し、
すっきりさせてくれた。

あたしたちは、休憩のあと
白衣を着た
大柄のおばちゃんの
話を聞くらしく、
でっぷりとしたおばちゃんが
のそのそと前に出て座る。

あたしは、その姿から
なんだか、
アフリカゾウを連想して
くすくす笑いそうになってしまった。

そのおばちゃんは、
警察署の顧問精神科医だと
自己紹介し、
あたしたちは、あまりの風貌との
ギャップに仰天した。
だって、立派な博士だって
警察官までもが、紹介するんだもの。

どうみたって、
黒人のひとの良いだけが取り得の
でぶっちょのおばちゃんとしか
思えない、人懐っこい顔だちなのだ。

ま、白衣は着てるけど・・・

おばちゃんは、
こころからの笑顔で
ニコニコすると、
 
  トラウマワークをします

と普通に言った。

あたしは、なんだか
それだけで、
くつろいでしまって、
ついつい笑顔になってしまう。

できるだけ、別職種や
そのときに別の場所にいたひとたちと
数人でグループになった。

そこで、まずは、
自分が見たことを話す。
このときは、事実だけだ。
質問は、禁止。
ただただ、話すか、聞くだけという
ルールだった。

やってみて、驚いたのだが、
あたしが、事実と思っていたことも、
そのとき違う場所にいたひとには、
別の見え方をしていて、
あたしの想像だったりすることも
あったっていう発見だった。
みんなも、シェアリングでは、
口々に同じようなことを言った。

そのあと、そのときの感情を
やはり話すか、聞くだけ
というルールで
1周する。
ひとによっては、涙しながら
または、怒りに震えながら
話してくれて、
あたしは、聞いているだけで、
怖くなったり、泣いたりした。
でも、自分の番で、
やはり取り乱して感情的になったけど、
みんなが辛抱強く聞くだけなので、
とっても安全な感じがした。

シェアリングでは、
やはりみんな、
感情を出してもいいんだ、とか、
安全感を話していて、
あたしも、とっても
同感だった。

あたしたちは、かなりの短時間で
すっかり事実と感情を
整理することができていて、
それも驚いた。

おばちゃん精神科医の
驚くべき能力だった。

数人集まっていた警官も、
あの事件のときに、
駆けつけてくれた警官たちで、
あたしたちと同じように、
おばちゃんのトラウマワークを
グループを作って受けていた。

警官までもが、こんなところで、
と、あたしは、驚いた。

おばちゃん精神科医が言うには、
事件の現場で行うことが
大事なのだそうだ。

なるほど、警官たちは、
今朝のみるからに感情を隠した笑顔が消え、
本当の自然な表情になっていた。

ということは、
あたしも、そうなんだろう。

なんだか、あたしは、
学校でもトラウマワークをしてもらって、
ここでも、こんな素敵なワークを
してもらって、
すごく幸せだった。

このお店のみんなとも、
なんだか、かなり長い付き合いのような
そんな深いきづなができたような
気がした。

あたしは、こころから感謝した。

全員でのシェアリングでは、
おばちゃん精神科医も入ってくれたので、
あたしは、感謝を言葉にできた。
そしたら、おばちゃん精神科医は、
温かいハグをくれて、
あたしは、感激のあまり、
涙してしまった。

みんな、最後に、
おばちゃん精神科医から
ハグをもらい、
クロージングセレモニーをして
終了した。

あたしたちは、
事件がおきたというのに、
幸せだった。

ありがとう。
ありがとうございます。

さあ、食事に行こう、と
だれからともなく
誘いの言葉がかかる。

あたしたちは、
元気に、少し遅めの
ランチに出かけることにした。

つづく