お店の中は、ひとであふれていた。
警官の姿まで見える。

どうなっているんだろう。
あたしは、あわてふためきながら、
ロッカールームに急いだ。

ロッカールームには、
ビッキーやクリス、クッキーにベニス
そしてジョニーやべティーが
まだ制服に着替えてもいないまま
座り込んで、騒がしく話している。
あたしもとにかく、
自分のバッグをしっかり抱えて
座り込んだ。

クッキーがシクシク泣きながら、
ナンシーが、ナンシーが
と繰り返している。

クリスは、これまた半泣きの状態で
あの男は何?、何なの?
とわめいていた。

ビッキーが、あたしのそばにきて
説明してくれた。

朝来たら、お店の前で
数人の男たちが
 ナンシーをだせ、ナンシーをだせ、
と大声で叫んでいた。
すぐに、マネージャーのフィリップに
連絡し、来てもらうが、あまりの騒ぎに
男たちを静めることができなかった。

そんなことなど知らない
ナンシーは、夫の車に送られて
お店の前まで来た。
しかし、ナンシーは、男たちの様子を見て
真っ青になり、
夫とともに、車で走り去ってしまったという。

それに気づいていなかったのか、
男たちは、何十分も叫びつづけているので
警官を呼んだのだという。
なぜ、こんなことになっているのか、は
さっぱりわからなかった。

あたしは、なぜ、男が一人ではなく
数人なのか、わからなかった。
もしかすると、あのFAXの男性の関係では
ないのかもしれない、と思った。
しかし、それにしても、
タイミングが良すぎた。
わけがわからないながらに、
あの“ジャック・スミス”だったら、
時間はぴったりあう。
本当のところは、何が理由なのだろうか。

みんなそれぞれ、
勝手なことを騒ぎたて、
あたしたちは、ここにただ
一緒にいるだけで、
思い思い、全く違うことを言ったり
考えたりしていた。

あたしは、気が遠くなるような
めまいがしていたが、
それでも、帰るわけにもいかないし、
かといって、制服に着替えて
バイトという風でもないので、
ただじっと座って、
頭の中を整理しようと努力していた。

どれくらい時間が経ったのだろう。
あたしの足がしびれてきて、
みんなの声が嗄れてきそうになるころ、
いきなりロッカールームのドアが開き、
警官2人が、あたしたちを見た。

  この中に、ライラさんは、いますか?

あたしは、心臓が飛び出るほど驚き、
どうしても、声が出ない。
どうしよう。何かあるのだろうか。
オトコだったことで、呼ばれているのだろうか。
支離滅裂なことが、頭を駆け巡り
ぼんやりとしてしまう。

すると、クッキーがやけにはっきりとした声で
このひとです、とあたしを指差した。

あたしをじっと見た警官は、
こちらに来てください、
とあたしを立たせて、
ひっぱるようにして、連れてかれた。

なぜなのか、わからないまま、
混乱したあたしは、
あっというまに、裏口に止まっていた
パトカーの中に連れこまれていた。

  ライラさん。知っていることを話してください。

だしぬけに、若い警官にそう訊かれたが
どんな知っていることを話していいのか、
まるで思い浮かばずに、
口だけがパクパクして、
言葉にならなかった。

すると、年配の警官の方が、

  ナンシーに関係する男性の絵を
  あなたが描いたと聞きました。
  どんなことでもいいので、
  その男性のことを、教えてください。

と丁寧に訊いてきた。

あたしは、あの絵のことと
FAXのこと、などを
ぽつり、ぽつりと話した。
かなり時間がかかってしまった。
それでも、警官たちは、
焦らせることもなく、懸命にメモを取りながら
きちんと聞いてくれた。

最後に、あたしは、

  あたしのせいで、こんなことになっているのですか?

と警官たちに尋ねた。
警官たちは、淡い微笑みを一瞬浮かべ、

  あなたのせいではありません。

と言ってくれた。
そして、そのFAXを見たいので、
いまから、自宅まで案内してください、と
強引な感じで言われたので、
そのままパトカーで、
あたしの家まで行った。

FAXは、玄関にほど近いところに
あったので、すぐに見つけて、
警官に渡した。
これで終わりと、あたしがほっと
ため息をついていると、
描いた絵も見せてくれ、と
言ってきた。

あたしは、画廊に案内し、
あの迫力のある絵を見せた。

警官たちも、絵の様子には、
度肝を抜かれたような
驚愕の表情を見せたが、
それでも、すぐに引き締まった表情に戻り、
何枚も、写真を撮った。

簡単にお礼を言われて、
警官たちは、ベーカリーカフェまで
送ると言ってきたが、
あたしは、疲れてしまったので、
そのまま画廊に残ることにした。
どうせ、お店は、開かないだろうとの
ことだった。

警官たちが、帰ると、
あたしは、軽い過呼吸のようになった。
心臓も、ドクドクとものすごい音をたてている。

あたしは、とっさに持っていた
紙袋を口にあて、
ゆっくり呼吸をした。
そして、安全な場のイメージを
一生懸命、浮かべた。

少し、落ち着いたが、
この絵と同じ場所にいるのは、
怖い感じがする。

あたしは、ナターシャのお店に
走るようにして、行った。

ナターシャは、あたしの顔を見るなり、
何も言わずにハグしてくれて
すわり心地の良い、
薔薇柄のラブソファーに
あたしを座らせた。

あたしが、ふっと一息ついていると、
薔薇ジャムをたっぷり入れた
ロシアンティーを持ってきた。

ナターシャは、ゆっくり飲んで、と言い、
あたしのそばで、じっと
寄り添ってくれた。

あたしは、ピンクの薔薇の花びらの形の
カップを大事に両手に持つと
一口づつ、ゆっくり飲んだ。

半分くらい飲むと、
ずいぶん落ち着いてきた。

すると、ナターシャは、
ジョゼフがいかに
ヘンな言い間違いをするか、とか、
他愛のないケンカをした内容とかを
面白そうに話し始めた。

あたしは、知らずに、
ナターシャの話に引き込まれ、
ジョゼフのとっても面白い
言い間違えのために、
ケンカが勃発することで
大笑いをしていた。

ナターシャは、最後まで
あたしの顔色や何があったかを
尋ねようとしなかった。
そして、あたしが落ち着くまで
寄り添ってくれて、
レースの作品のことなんて
まるで見えないかのように
振舞ってくれた。

 そろそろランチの時間よ、ライラ。
 一緒に、何か、食べましょう。
 きっと、ジョゼフもくるけど、ね。

と悪戯っぽく笑い、
誘われた。

ありがとう。ナターシャ。
ナターシャの強い愛情を感じ
あたしは、こころから感謝した。
言葉に出すと、泣きそうで、
あたしは、ただ黙って笑顔になった。

ランチは、何にしようか。
その話で、近所のお店を
ひとつひとつ、比べては、
自分の食べたいものを
お腹に聞くという
楽しいひとときを過ごした。

でも、やっぱり、こういうときは、
ロシア料理に限るわ、という
ナターシャの一声で、
あたしたちは、近所のロシアレストランに
腕を組んででかけた。

つづく・・・・