ランチタイムは、
フロアー全体が、
戦場と化した。

ものすごいお客様の数。

あたしがバイトに入ってから
見たこともない行列。
満員なのに、
フロアーにまで、
並んだお客様があふれてる。

クッキーは、フロアーに
戻ってきて、
あたふたと走り回っている。
顔には、どうみても
殴られたような手のあとが
くっきりと左頬に残り、
髪の毛がぐっしょりと
汗で濡れていた。

そのクッキーが
満席のフロアー全体を
走り回る。

あれ?
意味もなく、走り回っている。

ぐるぐるぐるぐる・・・・

汗を撒き散らすので、
お客様から
クレームがあり、
直接苦情も言われているのに、
どこ吹く風だ。

というか、熱心に
まるでゴールを
目指しているかのように
走り回っているのだ。

あたしは、一瞬
怒りとともに、
その様子を見た。
しかし、お客様への
サービスで、
てんてこ舞いだ。

クッキーの担当すべき
テーブルには、
べティーが
小声で、あたしたち
フロアーAのスタッフに
テーブルを振り分けた。

あたしでさえ、
汗をかきそう。

あたしは、オトコのときから、
汗をあまりかかない
体質だった。

オンナにトランスしてからは、
その傾向が余計強くなっている。

なぜなのだろう。
オトコは、汗をかくことが
オンナよりは、多い気がするのに、
あたしの汗腺は、
オンナ仕様なのだろうか。
それとも、汗のかき方には、
性別は関係ないのか。
あたしは、
ものすごい汗のクッキーに、
不思議な気持ちだった。

クッキーは、
正真正銘の女性なのだろうか。
それとも・・・

ベルトコンベヤーの作業のように
あたしは、機械のごとく
自動的にスマイル接客をし、
オーダーをとり、
お皿をサーブしつづける。

あたしは、からだを
ロボットにしつつ、
頭の片隅で、
クッキーを眺めては、
性別を考えていた。

クッキーは、ますます
加速度を増して
走り回っていた。
それは、お客様の5歳児のような
勢いだった。
ふつうなら、目立つのだろうが、
フロアー全体が
久しぶりの開店と
満席の対応のあわただしさで
クッキーひとりのことなんて
紛れてしまっていた。

しかし、お客様のお子さまは、
見逃すはずはない。
何かのモデルだと思うのか、
並んでいる行列から
待っているのに、
飽き飽きしたお子さまたちが、
続々とクッキーの後ろを
ついて走り回り始める。

あたしたち、フロアーは、
お皿を持って歩くときや
オーダーの際に、
その小集団に振り回されそうになる。

もう、限界だ。

あたしのロボット化が、
悲鳴をあげそうになる。

いいかげんにして。

と、オトコ声で、
叫びたくなる。

ああ、やめて。
静かにして。

急にフラッシュバックが起こる。

小学校のときのイジメの
場面が、ありありと思い浮かび、
その場面が、まるでいま
ここにあるような
気がしてきた。

   わ~~~
   おまえオンナだろ。
   全然オトコらしくないな。
   変な声やジェスチャーはなんだよ。
   ちゃんと、オトコなのか、
   トイレで、証明しろよ。

何人もの同級生の男児に
トイレにつれこまれて、
ズボンを脱がされた。
あたしは、それから、
すっぽり音の記憶がなくなる。
まるで、無音映画のように、
動く画像だけが、あたしを取り巻く。
その画像に、圧倒されそうになり、
あたしは、ますます
ロボットになろうと努力していた。

フラッシュバックの男児の最初の
わ~~~~という声は、
いま現実のフロアーでのクッキーとともに
走り回るお子さまたちの声に
増幅されて、
あたしの耳は、壊れそうになっていた。

あたしは、耳を塞ぎ
うずくまりそうになりながら、
まるで意識だけ
抜け出てしまったかのように、
妙に冷静に接客している
自分の姿を左上から眺めている。

どんどん、意識とからだの距離が
遠くなっていく。
くっつけようという努力は、
放棄してしまった。
このままのほうが、
接客は、しやすい。

あたしは、宙に浮いた
自分の意識から
からだを眺め、
にっこり笑う自分を
不気味に思う。

とうに、クッキーたちの声は、
聞こえなくなっている。
自分の前のお客様の声だけを
選別して聞くように
なってしまっていた。

クッキーは、
まるでわざとのように、
汗だくのからだを
あたしに時々ぶつけてくる。

あたしは、そのたびに、
笑顔で、
失礼と、切り抜けていた。

怒りが、
あたしのどうしようもなく
大きな過去からの怒りが
自分を覆いそうになるのに
気づかないふりをした。

あたしの様子に
だれも気づくことなく、
なんとか、ランチタイムが
終了した。

しばしの休憩に入るカフェは、
ようやく、満席ではなくなり、
静かな風が流れてきたようだった。

あたしは、べティーから
ビッキーと一緒に
少し休憩していいと
言われた。

ほっとして、
意識を遠く離したまま
あたしは、ロッカールームに
急いだ。

ロッカールームに着くと
ドアを閉めた瞬間
涙が流れてきた。

あたしは、自分の涙に
最初気づかなかった。

ビッキーが驚いたように
ロッカールームに入ってきて

  どうしたの。ライラ。
  何を泣いているの。

といわれて、自分が涙を流していることに
気づいたのだ。
それくらい、からだと意識が
離れてしまっていた。

からだが、芯から冷えてしまったように
思える。

  なんでもないの。
  忙しすぎて、ここにきたら、
  ほっとして、涙がでちゃった。

ようやく、それだけ言うと
あたしは、放心したように
涙をぽたぽた流しながら
椅子に座り込んだ。

ビッキーは、温かい
ジンジャーティーと
大きなチョコレートマフィンを
持ってきてくれた。

  今日はね。忙しいから
  スタッフのランチの時間は
  ちゃんととれないんだって。  
  だから、マフィンは、いくつでも
  食べていいって。

ビッキーは、嬉しそうに言う。
あたしは、温かいお茶を飲んで
ようやく、落ち着いた。

マフィンは、まだ温かく
焼きたてだった。
あたしは、チョコレートマフィンを
ほおばって、その美味しさを
味わっているうちに、
意識がからだに戻ってきた。

ああ、良かった。
あたしは、こころのなかで
ほっとしていた。

  ふーーー

思わず、大きなため息をしてしまう。
いけない、オンナらしくなかったかしら。

ビッキーは、気にすることなく、
キャラメルマフィンに
手を伸ばしていた。

キャラメルマフィンには、
中にもキャラメルが練りこまれ
しかも、キャラメルが
外側にも、デコレートされてるという
ビッキー好みのマフィンだ。

あたしは、チーズマフィンに
手を伸ばした。

チーズマフィンは、
4種類のチーズを
練りこんで、
甘くしたチーズソースが
デコレートされている。

美味しいね。

と二人で笑顔になってします。

美味しいものは、魔法だ。
どんなに辛くても、
笑顔になれるし、
意識をからだに戻してくれる。

あたしは、すっかり元気を
取り戻していた。

ビッキーは、そんな
あたしの状態なんか、
わからないので、
クッキーの彼氏の話を始めていた。

  クッキーの彼氏ったらね。

つづく・・・・・・