なんだか、セルフシェアして、
涙ぐんでしまった。

あたしは、本当に
出会うひとたちに
恵まれていると思う。

ほっと一息ついて
お腹がすいたので
キッチンに行こうと
階段を下りていると
携帯が鳴った。

美しいナターシャからだ。

これから、ディナーパックを持って
そっちに行くから、
歓迎してねとのことだった。

電話が終わると、すぐに
ドアベルが鳴る。

可愛い声で電話の続きをふつうに
話してるように、ナターシャが入ってくる。
ジョゼフもマリアンヌもきてくれた。

美味しそうな匂いがする。

  今日は、ジョゼフ特製のペルシャ料理よ

嬉しそうにナターシャが教えてくれた。

すごい料理だ。

まずは、マトンのケバブ。
全くマトンの臭みが無い
やわらかい匂いのスパイスに漬け込んで
炭火で焼いた塊だ。
持ってきたアラブ風のナイフで
ジョゼフが器用に薄く切り分けてくれる。
長い串に刺したままなので、
その切り分けだけでも、ショーのようだ。

そして、スッペジョウという
麦のスープ。
さっぱりとしたトマトの味が利いた
鶏肉のスープだ。
熱々で、鍋ごと持ってきていて、
それはもう、何杯でも食べられる美味しさだ。

そして、ジョゼフがフライパンで焼いたとう
とっておきのナン。
プレーンにチーズにスパイスと
何種類もの味のナンを
これでもか、と籐のかごに入れて持ってきてくれた。
たまらない、美味しさだ。

マスト・ヒヤールという
キュウリのヨーグルトソースサラダ。
塩の利いたヨーグルトに細かく刻んだ
キュウリの入っているもので、
トルコ料理にも良く登場する
さっぱりとした風味のつけ合わせだ。

マリアンヌが、クッキーを
ナターシャは、マドレーヌを
焼いてきてくれた。

まるで、ホームパーティーだ。
ステキ。

あたしは、浮かれてしまった。

少しアップテンポの
クラッシックディスコダンス音楽を流し、
みんなで踊りながら、食べた。

ちょうど、あたしたちが
二十歳のころの音楽で
良く知ってるフレーズを歌いながら
腰を揺らし、足を踏み鳴らす。
肩でテンポを刻み、
美味しいお料理で忙しく口を動かしながら
あたしたちは、音楽のなかにいた。

すっかりお腹が満足すると、
思いっきり照明を落として
自家製のミラーライトを回転させて
あたしたちは、踊り続けた。

みんなで、手を打ち鳴らし、
肩を組んだり、
同じ動きをしたり、
もう、パラダイスだ。

途中で、フレッシュな
オレンジとグレープフルーツの
生ジュースを作って
飲みながら、笑い続けた。

本当に、このアーティストなかまは、
あたしに起きた出来事を知っていてもいなくても、
あたしが話すまで何もきかず、
そのことについて何も話さない。
その境界線のしっかりしたところが
安全で、あたしは、守られてる気がして、
急に涙が流れた。

泣きながら、笑って、
なんだか、
感情の洪水になってしまう。

みんなも、気づくと
泣いたり笑ったりして、
ハグしあう。

あたしは、感謝した。
こころから、
信仰心のないあたしが、
初めて神に感謝した。

ありがとうございます。

そして、12ステップの
ハイヤーパワーを
実感したような気がした。

そう、何かの神ではなく、
あたしの、あたしたちの
神様は、確かにいるのだ。

ああ、その恩恵を受けている。

ありがとうございます。

涙が滝のように流れながら、
大笑いをして、
踊り続けた。

食べ物も飲み物も
たくさんある。
こうして安全な場で、
安全ななかまと
安全に過ごしている。

感情を、そのまま出せることの
素晴らしさを存分に味わっていた。

あたしは、さまざまな感情があふれても、
これまでは、
学習した通りのあるべき感情しか
表現できなかった。
すべての感情をあふれ出させることは、
いけないことだと思っていた。

でも、それは、安全な場さえ与えられれば、
あふれ出させても、大丈夫なのだと
あたしは、まるで雷に打たれたように
感じることができた。

そうなのだ。

アートだけで表現できない、
生のそのままの感情だって、
出していいのだ。

それが、なかま、なのだ。

あたしは、本当に感謝した。

ベーカリーカフェの事件は、
辛かったけれど、
そこから得られたギフトも
大きかった。

ありがとう。

泣いたり、笑ったり、
ハグして、
はしゃぎまくって踊ってしまおう。

つづく・・・・