パウダールームに着くと
あたしは、鏡の前のビッキーとクリスに
気づいたが、
とにかく個室と
飛び込んだ。

はあっとため息をつき、
個室でようやくほっとする。
尿意があっても、
こころがざわついていると
スムーズに用が足せないあたしは、
セラピーで身につけた
こころを落ち着かせるイメージを
急いで浮かべた。

あたしのこころを落ち着かせるイメージは、
森のなかの湖のほとりで、
ハンモックに揺られるというもの。
暖かい春の日差しを
からだいっぱいに浴びているという
イメージだ。
このイメージは、わたしが欲しいときに
右手で左腕の肘を持つと
すぐ浮かんでくるように
セラピーで頭に記憶させている。

あたしは、右手を左腕の肘に
ちゃんとつかませて
目を閉じた。
両眼を出来る限り
天井の方へむけるのがコツだ。

すぐに、からだが暖かく包まれて
あたしは、ちゃんと
用を足せた。

ほっとして、
個室から出ると、
ミラールームでは、
ビッキーとクリスにべティーやジョニー
そして何故かベニスまでが
ぺちゃくちゃとおしゃべりに
夢中だった。

あたしは、とりあえず、
ゆっくりとお湯で
ハンドソープを泡立てて
丁寧に両手を洗った。
ここのハンドソープは、
フレッシュな桃の香りが
ほのかにして、楽しい。
きちんと消毒をふきかけ、
ミラールームの後ろを通る。

すると、ジョニーがウインクして
もう少し、ここにいたほうがいいわよ
と教えてくれた。

あたしは、ポケットに入れておいた
口紅を出して、お気に入りのディオールの
ブルーがかったピンクの口紅を
丁寧に塗りなおした。

みんなの話題は、当然、ナンシーと
プリシラのことだ。

ベニスが、熱弁をふるっている。
どうも、ベニスは、自分で言うに、
かなりの男性好きで、
しかもゴシップ好きだそうだ。
このあたりの男性で知らないひとはいないし、
お気に入りの男性とは、必ずふたりきりで
飲みに行っていると豪語してる。

すごいおばちゃんだわ。
もう、60歳近いはずなのに、
私服を今日初めて見たら、
フェイクレザーのミニスカートに
ど派手なピンクのジャケットで
あたしは、仰天した。
メイクも、あたしなんか問題じゃないくらい
いつもばっちりフルメイクで
ヘアースタイルも美容院帰りみたいに
決まってる。

最初は、プリシラの元夫との
ベニスのデートがいかに
素晴らしかったかを
意気揚々と話していたが、
そのうち、ナンシーとプリシラの
関係のゴシップになった。

ベニスが言うには、
なんでも、プリシラの妹と
ナンシーの夫ができてたらしい。
でも、これは、かなり昔の話。

それ以上の爆弾情報を話していて
蜂の巣をつついたみたいになってきた。

それは、なんと、
プリシラの娘とナンシーの夫が
いま付き合ってるというのだ。

えっ。
プリシラって、何歳?
ナンシーとプリシラが、10歳も
違わないような気がしてた。
どうみても、40代半ば。
それ以上だとしても、50歳には
なっていないように見える。
そうか、そうなると、
20歳ころ産んでいれば、
20代半ばくらいの娘がいてもいいわけだ。

しかも、子どもを産んでいるという
眉唾のベニスゴシップ。

ほんとか?
本当なのか。
すごい関係だ。

ありえない、くもないのか。

あたしは、クラクラしてきた。

ナンシーのあの奇行と
プリシラのナンシーへのご機嫌とりは
確かに、異常だ。

でも、こんなことになっているなんて、
どうかしてる。

なんか、ナンシーがかわいそうになってきた。
まあ、ベニスの話が
本当ならなんだけど。

みんなすごい勢いで
検証のウワサを話してる。

あたしは、また、
オトコになりそうな
ヘンな気持ちになってきた。

ありえない。
ありえない。
オンナになるなら、
この話題についていかなければ、
と焦る。
焦りながら、
みんなのことばが
遠くに聞こえてくる。

どうしていいのか、わからない。

あたしは、こういうとき、
なにか、場違いな
間違ったことを言ってしまわないか、と
とても不安になる。
まだ、あたしは、
オンナ同士の暗黙のルールを
すべてわかっていないのだ。
こうした親密なウワサ話の場で
普通のオンナのように
自然なことばや仕草を
なんとか学習しようと
必死なのだが、むずかしいのだ。
そのときそのときで、
全然異なるし、
学習の情報量が多すぎて
自然にできない。

あたしは、ただひたすら
かわいい笑顔をつくって
うなづきつづける。

パニックになる頭の中を
どう落ち着かせるか、
必死に考える。

話しながらのイメージワークは
無理だ。

あたしは、こっそりと
鏡のあたしを見た。

そこには、不安そうに
オトコの顔に半分もどった
あたしがいた。

あたしは、あわてて、
いつも家の鏡で
練習している
オンナの顔と表情をつくった。

そうそう、その調子。
あたしは、こころのなかで
どんどんオンナの顔に戻っていく
あたしを褒めた。

あたしは、あごをこころもち引き、
ちょっと右ナナメになって
口角を上げた。
目もぱちぱちして、上目遣いぽく
前髪を見るようにしてみる。
肩幅を狭く見せるべく、
両腕を前で交差させ、
かわいいポーズをチェックした。

大丈夫だ。
あとで、もう少しアイシャドーを
濃い目に入れようと思った。
キラキラの黄色のアイシャドーは
かなり可愛く見える。
赤のマスカラも付け直すこと、と
鏡でチェックして、満足した。

あたしは、オンナだ。

なんとか、建て直し、
みんなと一緒に、フロアーに戻った。

つづく・・・