ローラとスキップダンスして
少し汗をかきながら、
お家に帰った。

元気が出たし、
すっかり気分も良くなっている。

こんな日は、
自分のために絵を描こうと
アトリエに入る。

低くボサノバをかけて
太陽の光を浴びながら
真っ白なソファで丸くなっていると
真っ白なキャンバスの上に
描きたいものが、浮かんでくるようだった。

あたしは、立ち上がって、
珍しく油彩絵の具を
そのままキャンバスに
塗りつけた。

こころのなかの
いろんなことが
積み重なっているような
そんなイメージを
絵にしたくなっていた。

こころの澱をとる。

まさに、油絵の良いところは、
そこだ。

あたしは、独特の油絵の具の
香りにクラクラしながら
大きめのキャンバスに
一心不乱に絵の具を
重ねまくった。

真っ白なところに
塗りたくったときには、
こころが緊張していたけれど、
どんどんリラックスするのが
わかる。

あの日、あのときの
自分の気持ちを思い出す。

緊張から思い出すのは、
トランス前の気持ちだ。

いつか、バレルのではないかと
常に緊張していた、あたし。

幼いころから、
ひとと違う自分を自覚していた。

でも、それが、
何を意味するのか、が
わからなかった。

両親からは、愛情たっぷり
もらっていたのに、
それに答えられない自分に
腹が立って、
それをどうしようもなく
荒れる方向しか、出せなかった。

そして、荒れれば荒れるほど
オトコらしさを
求められて、
ますます混乱し、緊張する。

オトコのくせに、
オンナのような言葉遣いやしぐさは、
嫌われる。

学校からドロップして
いわゆる非行グループに入れば
そこは、楽園ではなく、
まさに性の極端な表現の場だった。

あたしには、場違いな場所。

酔っ払うしかなくて、
いつもアルコールに耽溺したけど、
でも、酔って意識をなくしたときに、
自分が何を話しているのかが
心配で心配で、
ますます緊張度が高まった、あのころ。

あたしは、あたしではなく
本当のこころも居場所も、
見失っていた。

緊張は、いつもついてまわる。

バレてはいけないことが、
あまりにも、おおすぎて・・・

オンナになれるなんて
当時は、考えもよらず、
誰にもいえなかった。

アルコールの問題で
ラン医師と出会い、
そして、グループのなかまとの出会いは、
衝撃的で、あたしの第二の誕生のようだった。

問題があったからこそ、
なかまと出会えるという
パラドックスな理論を
ぶちあげていたラン医師は、
ここカリフォルニアでは
かなり目立った存在だった。

当時のカリフォルニアでは、
問題が表面化するまえに
どうにかしようという
“抑圧”と“否認”の世界だったのだ。

問題が出せることの
素晴らしさをラン医師から
あたしが告げられたときの
驚きったら、なかった。

だれも、アルコール耽溺を
褒めてはくれなかったし、
ましてや、なかまと出会えて
おめでとうだなんて、
悪い冗談かと思った。

いつも緊張しているあたしに、
ラン医師は、
いつも飄々として
ぷはっと笑ったまま
何もしてくれなかった。
ハグ以外は。。。

ラン医師とのハグは、
正直、あたしには、
最初怖かったけど、
その温かさと確かに伝わってくる
信じる気持ちに、
あたしは、緊張がほぐれてくるのがわかった。

そう、怖くないよと
ラン医師は、ことばではない
からだで教えてくれたのだ。

そして、あらゆるチャンネルで
緊張を出すことを
教えてくれた。

それは、あたしの生きる支えとなった。

こうして、絵を描き、
ダンスをし、
なかまとのおしゃべりに
大好きな入浴と食事・・・
あらゆる場面で、
あたしの緊張は、
出すことができるようになったのだ。

そう、もう大丈夫だよ。

あたしは、油絵の
塗りたくったキャンバスの真ん中に
ぴかぴかのハダカの赤ちゃん、
そうオンナの赤ちゃんを描いた。

それは、元気良く
安全感いっぱいに泣き叫んでいた。

あたしは、できあがった絵を
うっとりと眺めた。

あたしの緊張の歴史だ。

濃い目にエスプレッソマシーンで
エスプレッソを淹れて
ゆっくり飲み干した。

ラン医師の言葉が蘇る。

  いつだって、緊張していたから
  ニンゲンは、生き残ってきたんだよ。
  緊張は、悪いことじゃない。
  上手に、付き合うんだ。

そうだ。

あたしは、生き残ってきた。
こうして、緊張を使って、生き残ったのだ。

すばらしい。

ラン医師に、こころから感謝した。

そして、まずラン医師のとこに
受診することを決めてくれた
両親に心から感謝した。

つづく・・・