目覚ましが鳴る直前に
ぱちっと目が覚めて、
あたしは、幸せな気持ちで
いつものメリーさんの羊を聞いた。

メリーさんの羊でも、
幸せな気持ちで聞くと
なんだか応援歌みたいに
聞こえてくるから不思議だ。

あたしは、ゆっくりキッチンに下りて行くと
朝食を作った。
クレープな気持ちだったので、
うすーくクレープを2枚焼くと
1枚には、メキシカンサラダを巻いて
ホットチーズを乗せた。
そして、もう1枚には、
たっぷりのホイップクリームの上に
イチゴ、バナナ、ベリーなどを
まんべんなく乗せて巻いた。
最高の贅沢をしている気分。

アールグレイをミルクで沸かし、
インド風のチャイティーを作る。

あたしは、中庭からの太陽を浴びながら、
ゆっくり食べた。
優しいピアノ曲を流して
空想を膨らませる。

あたしが、ヨーロッパの古城で
貴婦人になっている空想。
優雅にナイフとフォークを使って
丁寧にクレープを食べ、
上品にチャイティーをすする。

今日は、午後からの水彩画のバイトしかないので、
午前中は、のんびり過ごそうと決めた。

昨夜、描いた水彩画を木製のしっかりした額に入れ
リビングに飾ると、眺めた。
それは、これからのあたしを
祝福してくれているようだった。

あたしは、食器を食器洗い機に入れると
洗濯をして、掃除機をかけた。
ピアノ曲のワルツをかけて、
ダンスしているように家事をすると
本当にリッチな気分になれた。

ランチは、どうしようかと思ったけれど、
バイト先の画廊のそばで食べようと決めて、
いつものブルーデニムではなく、
ピンクのデニムにブルーのワークシャツを着て
颯爽と出かけた。

画廊のあるエリアは、
このあたりのちょっとリッチなアートのお店が
あつまる商店街を中心にして、
アーティスト向けの小さなお店が
ひしめき合っている。

あたしは、ぶらぶらと馴染みの
絵の具屋さんや画用紙屋さんを
見ながら歩いていた。

すると、お店のウインドウに
レースでできたラブリーなハートマークが
印象的なレース細工屋さんから
レース細工職人の小柄なロシア系と
一目でわかる豊かな金髪の
ナターシャが出てきた。

  ライラ。ひさしぶり~

抱きついてくる。
ナターシャは、ものすごい美人なのだが
本人はそれを全く意識していないので
気高い美しさが優しくなっている。
しかも、最近、ペルシャ絨毯の輸入をしている
3軒先のペルシャ絨毯屋さんで従業員の
ジョゼフと結婚したばかりなので
ラブリーこのうえない。

  今日は、お仕事なの?
  ランチは、食べた?

と可愛い声で聞いてくる。
あたしは、ランチをこれからどこかで
食べようと思ってると言うと、
一緒に食べようと、
ひっぱられるように
近所のインド料理のお店に連れていかれた。

ランチ時間の大きな波が丁度すぎたところで
食べ終わって帰るお客さんが
そこここで立ち上がっている。

あたしとナターシャは、
いつものように店主のインド人に
挨拶すると、
いつもの窓際の席に座った。

まるで待ち合わせたかのように
ジョゼフもやってくる。
そして、これまた近所で
さまざまな材料を使ってケーキを作る
アーティストのマリアンヌもやってきた。

ここにくると、いつもこのメンバーが
自然と集まって、ご飯を食べたり
話をしたりする。
それぞれ、全く異なる分野の
アーティストなのに、驚きだが
最初からあたしたちは、なぜか気があった。
幼馴染のような気安さがある。

マリアンヌは、あと少し
数ヶ月で結婚するので、
その話を嬉しそうに話してくれる。
相手は、前衛のアーティストで
現在ニューヨークに住んでいるのだ。
ラスベガスでのマリアンヌの個展に
たまたま来場して、
お互いに一目で恋に落ちた。
それからは、遠距離なのに、
ラブラブで、傍目から見ても
熱くなってしまうくらいだ。

今日も、いかにそのアーティスト
パトリックの前衛アートが素晴らしいかを
持参したパソコン画面を開いて
見せてくれた。

あたしには、よくわからない素晴らしさだけど
でも、マリアンヌへの愛情の強さは、
とても良くわかった。

彼のアート作品をウエディングドレスに
着るらしく、その作品の数々が
次々に画面に映し出されて
あたしたちに相談した。

せっかくだから、パトリックとマリアンヌの
作品を統合させればいいのに、
なんてあたしが口を滑らせると
マリアンヌは、それもいいわね、と
頬をピンクに染めて
考えている。

このあいだ結婚式をしたばかりの
ナターシャは、こまごました
結婚式の注意点を教えていて、
あたしも、興味深く聞いた。

すばらしい。
この界隈では、いつも幸せの
愛情オーラが充満しているようだ。

あたしも、ますます幸せになり、
自分の結婚式をイメージしては
にっこりしてしまった。

楽しく、辛いマトンカレーに
焼きたてチーズナンを味わい、
インド風の豆サラダを楽しんだ。
ついでに、熱々のサモサ、
ジャガイモのコロッケみたいな
インド風のマッシュポテト揚げを
たらふく食べて、
ラッシーを飲んだ。
ここのラッシーは、羊の乳からの
手作りヨーグルトでできていて
ほどよく酸っぱくて、さっぱりしている。
あたしたちは、ダイエットコーラで
このラッシーを割るのが、好き。
店主は、嫌がるけど、今日もこっそり
みんなで割ってしまって、楽しんだ。

すっかりランチで満足して、
それぞれの職場に戻っていく。

あたしも、久しぶりのー2週間ぶりだー
の画廊に行き、
ドアマンに元気良く挨拶すると
自分のスペースに急いだ。

既にお客様が来ていた。
この画廊全部に対しての秘書を
務めているターニャが
珈琲を出してくれていて
にこやかに話していた。

あたしは、静かに近づくと
挨拶をして、アトリエに案内した。

アトリエは、中庭に面した
ガラス張りのスモークシルバーで
統一された上品な作りになっている。

一人がけ用のソファーに
お客様に座っていただくと
あたしは、おもむろに大きめサイズの
画用紙に向かって瞑想した。
精神統一をすると、
お客様をじっと凝視する。

いつも、あえて名前を先に聞かない。
今日のお客様は、シルバーグレーの
きちんとした紳士だった。
オーダーメードで誂えたであろう
がっしりした体にきちんとフィットした
上等なスーツ。
光沢のある美しい色のネクタイに
ピカピカに磨かれた革靴。
静かに座っているその姿は、
少し圧迫感すら感じる折り目正しさだった。

見つめて、ほどなくすると
イメージがわいてきた。
それは、さみしくて、悲しくなるような
すさまじいまでの孤独感だった。

枯れた白樺に舞う落ち葉。
冷たい風が吹きすさび、
荒れ模様の湖。
そこにじっと立つフランス人形。

あたしは、そのイメージを
あたまでまとめることなく
画用紙にぶつけた。

インスピレーションが次々と
下りてきて、色をつけた。

最後に、赤々と燃える暖炉が見えた。
あたしは、左隅に、
小さな小屋のなかの大きな暖炉を描き
そこに、温まっている
幼い兄妹を入れた。
それは、とてつもない嵐の晩に
そこだけ神様が安全な場を作ってくれたかのような
不思議な空間となった。

あたしは、一心不乱に描ききった。

描き終わると、お客様の名前を訊いた。

深みのある声で、答えたその名前、
ジャック・スミスを
右の墨に書き入れて、
あたしの名前をサインした。

水彩画のため、絵の具が乾くまで
少し待っていただくため、
先ほどの小さな待合スペースに戻り
ターニャに珈琲とナッツを出してもらった。

あたしは、黙ってナッツを齧り
珈琲をすすった。
ジャックも、黙って微笑んで、珈琲をすすっていた。
あたしたちは、奇妙な達成感で
包まれていた。

乾いたくらいの時間がたったので
水彩画を初めて、ジャックに見てもらう。

ジャックは、おおっと声をあげて、
しばしショック状態のように
見入っていた。

あたしも、遠くから絵を眺めて、
その迫力に、驚いた。
描いているときには、よくわからなかった
絵から飛び出てくるような
中心に向かう風のうねりような迫力は
描いたあたしですら、驚くのだから
ジャックが言葉を失うのもわかる気がする。

ジャックは、放心状態から覚めると
何度もありがとうを繰り返した。
何か、訴えるものがあったようだった。

あたしは、1週間ほど、しっかり乾かすと
額に入れて、お送りしますと話し、
額をカタログから選んでもらった。

ジャックは、ひどく嬉しそうに
額を選び、また、お礼を何度も言って
帰っていった。

すでに、4時間が経過していた。

ターニャがやってきて、
今日のお客様は、あとひとりいらしたけど
キャンセルになったから、
今日は、これで終わりよ、と
ステキなウインクで教えてくれた。

これで終わりと思ったとたん、
心地よい疲労感で包まれた。

あたしは、ジャックの選んだ額を
ネットでオーダーすると、
大事に絵を乾かすためのスペースに持っていき
画廊を出た。

なんとなく、ナターシャのお店の方に
歩いていくと、
レースで何かを一心不乱に製作している
ナターシャが見えた。
レースは、なんと繊細で美しく
ナターシャに似ているのだろうと
見とれてしまう。
ナターシャは、あたしに気づかなかったので
あたしは、静かにお店を離れると
家に帰ることにした。

ついでに、学校の課題の
粘土のメリット・デメリットも
つくれそうな気がする。

早い足取りで
家に戻ろうと、あたまのなかで
なぜがブルースが流れて
あたしは、身体を揺らした。

途中のチャイニーズレストランで
ディナーボックスを買って、
その匂いに、
すっかりお腹が減ってきた。

帰って、まずは、これを食べよう。
宿題は、それから考えようと
あたしは、頭の中で思った。

つづく・・・・